皆様、こんにちは!!
bikeportスタッフの奈須野です。
本記事は、
の続きとなります。
午前4時には起床をして、朝食を摂ります。
夜明け前。
琵琶湖がうっすらと明るく照らされています。
昨晩、野営をしたときは気づきませんでしたが、なんと、ここはサイクリストの聖地、という場所のようです。
女性があんよを高く掲げています。
琵琶湖一周を案内する看板がありました。
道路も極めて整備されて走りやすく、かつ、風光明媚な土地が続きます。
安土川です!!
なんというあっぱれな名前でしょう。
感動に震えてしまいます。
琵琶湖一周コースは道館内がしっかりしておりまして、安心して走ることができます。
迷わず低速コースを選びます。
西の湖(にしのこ)という湖に着きました。
琵琶湖と繋がっている湖で、安土城のすぐ傍にあります。
信長軍が京都に進撃する際には、有力なルートになったに違い有りません。
安土城に到着しました!!
江戸時代のお城と違って、石垣の積み方がダイナミックです。
それでいて、粗野というわけではなく、見ていて飽きません。
現在、安土城は、総見寺(そうけんじ)さんの私有地であって、あくまで総見寺の開門時間にあわせて登城することが可能です。
開門時間は午前9時です。
興奮のあまり、午前8時に到着しました。
門内に入ることはできませんでしたが、安土城外郭部は24時間公開されておりまして、外郭部を穴が空くほど見学しておりました。
L字型のクランク(虎口(こぐち))です。
外からの侵入者が直線に進めないようにして、進撃速度を遅らせる、虎口を通過する際に、側面、後背から攻撃を加える、城内を見通せなくさせる、といった役割があります。
井戸跡です。
築城当時の井戸が跡とはいえ現存しているとは、感激に震えが止まりません。
外郭部をぷるぷる震えながら拝見しておりますと、はや1時間が経過しました。
正門入口から登城します。
杖があるとは、どういうことだ?と疑問に思いましたが、すぐ後になって、その訳を理解したのでした。
とんでもない急坂、長さの階段が続きます。
日本国内のお城を津々浦々、拝見した経験があるわけではありませんが、私が見た中で、このように急坂で、かつずどーーーーーーんと真っ直ぐな石段が続くお城というのものは、見たことがありません。
まるで、石段が天まで続くような気すらします。
非常に独特、異様といってもいいお城です。
入って左側に、伝・羽柴秀吉邸跡がありました。
一家臣の居宅ながら、独立した城郭といって良いほど急峻な石垣、入り組んだ構造で、凄まじいとしか表現できません。
なんと!!
天下布武という鐘があります!!
しかも、タダ!!
(寺院の鐘は鳴らすことを禁じていたり、有料の場合が多々あります。)
私は小躍りして、鐘を打ち鳴らしました!!
くらえ、てんかふぶ!!
道はつづき、さらにさらに急段になっていきます。
普通に転げ落ちそうで怖いです。
ふと足元を見ると、「石仏」という案内表示がありました。
城の普請は膨大な量の石材を必要とするため、墓石や石仏などでも、周囲からありったけかき集めたから。。。という説もあれば、旧来の宗教勢力を弾圧、上位にたつという信長の意向によるものだ。。。という説もあり、定説をみません。
もっとも、安土城には、総見寺というお寺が組み込まれておりまして、信長が無宗教、無信心であったとは到底思えず、石仏自体は、安土城以外にも、福知山城、大和郡山城などでも見受けられるもので、築城した人物は必ずしも不謹慎とは考えていなかったと思われます。
黒鉄門です。
本丸、天守閣といった安土城の中枢部を防衛するための、鉄(あるいは鉄張り)の門があったと考えられます。
清涼殿(せいりょうでん)と酷似した建物跡で、帝を招く準備であったのではないか、などと推察されます。
400年ほど前、ここに地下1階、地上6階建て、高さ32メートルという巨大天守がそびえ立っていたと思うと、感動のあまり、その場に立ち尽くしてしまいました。
1579年から1582年まで、わずか3年ほどですが、確実に信長はこの天守に居住しておりました。
ルイス・フロイスの「日本史」には、安土城天守閣で信長と朝食を共にした記述なども残っており、400有余年の時を経て信長と同じ場所にいるという、時間の流れというのは不思議なものだと感慨もひとしおでした。
天守閣一階部分がぐるりと周回できるようになっておりまして、眼下の琵琶湖を見下ろします。
信長も毎日、天守から琵琶湖を見ていたに違いありません。
結局、安土城には4時間30分ほど滞在しておりました。
本日はこのあたりで宜しいと存じます。
それでは、皆様、次回お会いするときまで、ごきげんようです!!
以上、bikeportスタッフの奈須野でした。